私の目標。

どうもお久しぶりです。かしすです。
今更だけど、かしすですって言いにくくない??さ行多くない??改名しようかとかも何回か考えたんですけど、この名前と8年くらい一緒なので愛着が湧いてこのままのかしすです。表記は変わってるけど。



とまぁ、前置きは置いておいて。
今日のテーマは私の将来の夢、目標にしてる人について語ろうかと。


結論から書くと、私の目標は「渋谷すばる」。
そして、私の夢は1分1秒先の未来でもいいから人を笑顔に、勇気を与えられる、そんな曲をみんなに届けること。



事の始まりは私の小学生時代まで遡る。

気が付けば私は関ジャ二∞が大好きだった。
ジャニーズという音楽の1つに囲まれた人生だった。
カッコ良さの裏に努力と彼らと周りの笑顔、そして音楽との向き合い方。
私はそれが当たり前だと思っていたし、物心がつく前から私は音楽という類のもの全てが好きだった。

小学生の頃はダンスを4年間習い、独学でボイスレッスンもした。ギターも嗜むし、歌詞も書く。
小さい頃の遊ぶものはアンパンマンの小さいピアノ。私は「音」が大好きだった。



そして気がつけば渋谷すばるの歌声に惚れていた。
力強いのに繊細で、儚くて、聴く人の心をいい意味でも悪い意味でも揺さぶるそんな声。
彼の歌声は正直、聴く人を選ぶ声と歌い方だと思う。それは批判や感想を含めて。
でも、彼の熱量は聴く人全員に届く。

私はそんなシンガーになりたいと思った中学時代。
何もかも上手くいかなくて、結果的に精神病を患ったそんな時期。私の人生はここで大きく変わった時期だと思う。

そんな暗闇から救ってくれたのも彼だった。
関ジャ二∞のアルバム曲のひとつ、「ふりむくわけにはいかないぜ」という楽曲のひとつのフレーズ。



「苦しむために生きないで あなた自身を愛してくれ

夜風が僕に告げたんだ 渡せよ 自分にラブレターを

打ち抜けよど真ん中 ざわついた心今夜でケリをつける」

私の中で最も勇気が出るフレーズで、座右の銘は?って聞かれたら真っ先に浮かぶのはこれ。


丸山隆平の必死でまっすぐに入ってくる歌声で、強いメッセージがこもった1行目。
安田章大の高音で優しく語りかけてくるようなフレーズの2行目。
そして最後、1番鳥肌が立った渋谷すばるの3行目。フレーズもそうだけど、あれは音源を聴かないと力強さが分からない。私の語彙力が足りないんだけど、とにかくすごい。

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話は飛ぶが渋谷すばるっていう人間の経歴は知ってるだろうか。
多分知らない人が多いと思うのでざっくり書いていく。

まず渋谷すばるのお母さんが勝手に履歴書を送り、見事書類審査を合格。
お母さんに「5000円あげるからオーディション行ってき」と言われて渋々オーディションを受ける。
するとなんと合格。そのままジャニーズ事務所に所属。
東の滝沢西のすばると呼ばれる圧倒的な歌唱力が武器だった、ジャニーズJr黄金期の中の中心に近い人物。

陰口を叩かれてイラついた衝動で入れた右手の甲のスカルのタトゥー。事務所に反対されて嫌々消した痛々しい痕。


そして自分の誕生日に全国デビュー。
(全国デビューと表記してるのは少し前に関西限定デビューをしているからである)



そして、2018年に関ジャ二∞を脱退。
関ジャ二∞が15周年を迎える頃だった。



私はここで本格的に夢を見つけた。
「わたしもすばるくんみたいなボーカリストになりたい」

彼が脱退する時に言った「将来を考えて、音楽の勉強がしたい。好きなことがしたい」

賛否両論があるが、私はこの言葉に この2年助けられた。涙も出た。


彼は安定している「ジャニーズ」という枠を飛び出して自分の道を1から作り始めた。
その勇気や考えは私には少しも分からない。きっと彼にしか分からないことだと思う。

そんな彼の強い瞳、極度の人見知りなのに我を貫く繊細なのに太いパイプのような意思、そしてエンターティナーとしての人を笑顔にしたいと思う変わらない思い。


私はそんな彼に強い憧れを持った。
そしてそんな彼の思いを感じた時の私の夢は「一日、一分、一秒先の未来でも人の気持ちを動かす曲を歌いたい」。
私も夢を届けることがしたい、彼が大好きな、私が生まれた時から囲まれた音楽を使って、人を笑顔にさせたい。



もっともっと書きたいものはあるんだが、ここまで書くのに3日かかっているのでこの続きはまたどこかで。



追記すると私は彼を追いかけてジャニーズになりたかった。でも女だし諦めるしか無かった。残念。