あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年は少しづつブログ書いていきたいですね。

三が日というものが終わり、初詣に行ったのですがおみくじは凶。ガチャは微妙な結果。なんとも言えない3日を過ごしました。皆様はどうお過ごしでしょうか。


祖母の家は徒歩30秒、父方の実家は疎遠になってる上に北海道で遠すぎるので帰省なんて無縁の私。
みんながキャッキャウフフで楽しんでいる間に私はほぼ寝正月を過ごしました。

友人はクリスマスや正月に彼氏とデートをし、私はそれに唾を吐きながら1人寂しく布団にもぐって寝てソシャゲ周回をしていました。



あれ???いつも以上に堕落した人生してない???



まあ、そんな日々を過ごしました。
またいつか。

何があったかのご説明

久しぶりにはてブロを起動しました。かしすです。

今回はTwitterでなぜ元気ですツイートを連発してたのかという説明です。

 

 

9.30と10.1の間。親と喧嘩して勉強道具をもって頭を冷やして(物理)勉強しようと思って、まず幼馴染兼親友の花梅くんという友人に連絡をしました。

その後返事は帰ってこず、仕方ないとあきらめてその友人の家の近くにある大きめの公園へ足を運びました。

その後一時間ほど勉強し、キリもいいので帰ろうとしたときに事件は起こりました。

 

見ず知らずの男性に声を掛けられ、最初は世間話をしていたくらいだったのですが 段々アダルトな話題になっていき、胸を揉まれて物陰に誘導されました。

勿論抵抗もしましたし、話している途中ももう帰るのでとずっと言っていました。

その後強〇され、ホテルにも誘われましたが断って家に帰りました。

 

 

最初はフォロワーの琳木犀に話をし、やべえとは言いながらも笑い話にしていました。

その後、花梅くんからLINEが返ってき ついで話のようにするとめちゃめちゃに心配され、親友各所に話が周り、警察沙汰になった次第です。

 

 

それにしても初めて警察署に行って取り調べみたいなの受けたけどすげえな!!!担当の人めちゃめちゃ話しやすかったぞ!!!!

 

 

まあ無駄話はさておき。

 

 

こんな私でも強〇されるんだからフォロワーのみんなも、この記事を読んでくれた人も夜道には本当に気を付けて。

ちゃんと病院も行って緊急避妊薬とかも飲みました。安全のために。

 

 

 

 

 

 

 

……ケツになかだしされて検査されるのめちゃめちゃ恥ずかしかったな……

わたしのおもい。

こんばんわ。かしすです。


今日は「かしす」ではなく1人の人間としてお話していこうと思う。






保育園。
「とても元気な明るい子」。
自他ともに認める陽気で、人と人を繋げるような子だった。
歳下の園児や先生たちと仲が良く、元気いっぱいの男勝りな子だった。
それ故に虐められ、私の心はここから歪んでいき 不登校癖が付き始めた。ただ、この頃はまだ人というものが好きだった。
親が離婚し、母子家庭になったのは6歳。
現在から見て10年前のことだ。


小学校。

習い事を始めて、小3の頃にヒップホップダンスに出会った。
明るく元気で強い子というイメージは変わらず、所謂「陽キャラ」というイメージを保っていた。
ただ、小学校に上がり始めたくらいからオタクとしての根っこが見え始め 「オタク」とバカにされ、虐められた。
この頃の私はまだ強かったので、小4までは耐えていた。
小5に上がるとクラスのトップカーストの1部になっていて、小3から始めていたダンスが上手く行かなくなっていた。
新しい人が入ってきたら人見知りをし、人前に出ることが苦痛になってきた。
小6の頃はマセて居たので、彼氏なんかもいたが とんでもないメンヘラ男で私の「好き」という概念が崩れ始める。
私が恋愛というものが一切わからなくなったのはきっとここから。



中学校。

私の人生が狂った3年。
今までとは比べ物にならない程の無言の虐めを受け、心がズタボロにやられる。
病気が発覚したのも、カウンセリングを受け始めたのも、不登校になりだしたのもこの頃。
大体この辺りに、今繋がってる古い人達と出会い始める。
人前に出るのが苦痛と感じ、人の視線を恐怖を感じ、人間という存在を真っ向から否定し始めるようになったのは、今から丁度2年前の中学二年の頃。
誰も。何も。信じなくなった。
好きな物でさえも、一時期は嫌いになりかけた。
ただ、それを救ってくれたのは湯毛という存在だったし、わくバンという存在だった。
今でも、「好き」だの「頼っていい」だの言う言葉は素直に受け取れない。
親からは「自意識過剰だ」といわれたが、私はどうにも裏があるようにしか思えなく 大勢の小学校の頃の友達と連絡を取らなくなった。
(そんなことしなくとも勝手に中学に上がると元の友情はなくなることを後から知る。)



そしてここから病気、現在の話。

バイトを始め、第1志望だったN高等学校に通い始める。
勉強はできない、バイトも失敗ばかり、フォロワーには迷惑しか掛けない。
私の病気は現在最底辺にある。
何かあったらすぐに病むし、深夜にしか散歩ができない。バイトでも清掃とフード作りくらいしかできなくなっている。
そのフードでさえも失敗するわ、珍しくクレーム対応に答えたら私の対応に更にクレームが来て店長に叱られる。



私は、私は、私は、


どこで、何を、間違ってしまったのだろう。





どうして、こんなにも何も出来ないのだろう。



絵も描けない、歌も歌えない、文だって、言葉だって紡げない。

私は、何で表現すればいいの。





ずっと本音が出せなかった。
ここには書いてないし、詳しくはまた次回話すけれど 私が初めて出逢ったネットの友達に全てをさらけ出したら、全て裏切られたから 私の詳細を話すのはもう暫く先ないかもしれない。
ここに書いてあることは全て本音だけれど、一番大事なところは一生書かないし 誰にも言わずに墓まで持っていく。


私は、何も出来ない弱い人なんだよ。
ただ、「かしす」としてならキャラを作って強くいられる。
「かしす」は強い子だから。弱音は吐かないから。
「かしす」と言うキャラでしか生きていけない。
本当の自分は、ずっとずっと奥底に閉じ込めてある。















ここまで見てくれた人……居るかわかんないし、居ないと思うけど。
ありがとう。
きっと1から100まで本音を言うことはきっとこれから先、親にも親友にも言うつもりは無いしきっと言えない。


それでも、「かしす」というキャラではなく 私自身を気に入って絡んでくれるのであれば。
私はずっと仲良くしたいと思う。

かしすの推しについて。

どうもかしすと申します。
2回目のブログでもう既に書くことがないので官能小説でも書いてやろうかと思い出した。


今日は私の好きな物の話をしようと思う。



実況がすき。
ジャニーズがすき。
ラーメンがすき。
湯毛がすき。



こんなもん。
マジでざっくり分けるとこんなもん。

湯毛さんと関ジャ二∞さえ追えてれば生きていけるおちゃらけ人生を送っている。
こいつ人生楽しそうだな。


前も話した通り、私は人混みにいるのが無理(手足が震えて目眩がする)なので 本来なら実況イベントに行くのはマジで自殺行為なのだが、いつも気合いで乗り切ってるし 何故か知り合いがいたら平気なのでフォロワーにくっついてる。
満員電車は世界で3番目に嫌い。



音楽とかカラオケもすき。
カラオケで働くくらいすき。
歌は中の上くらい。そこまで上手くありません。
湯毛は上の上の上なので(推し贔屓)





少し短いけどこれくらいにしようかな。
それではまた次回。

かしすについて。

フォロワーの中でブログブームが起こっているのでそれに乗ってみようと思っただけで、何を書こうとは全く考えてない。


全くに無計画な人間である。


ツイートでは書ききれないことを書いていこうと思っている。長くなるとは思うが、歌紫澄についてよく知りたい人は読んでおいて欲しい。





私は現在……年齢のことは色々気にしているので言わないでおこう。
性別は女性。所謂バイ・セクシャルというものだったりする。女の子と付き合ったこともあるし、男性と付き合ったこともある。



そしてここからが本題。私の病気についてである。


私は「社会不安障害」というものを患っている。


(ここからは私視点での話をするので、ガチ勢が居ても口を突っ込まないで欲しい。)


社会不安障害というのは、人の視線を異常なまでに嫌うだとか 人の圧迫感が苦手だとか。まあつまりは自意識過剰が行き過ぎた感じの病気だ。
(細かく話すと長くなってしまうので割愛する。詳しくはggってくれ。)


私は両親共々精神病の家庭で育ってきた。
まあ、今は父親がいないのだが。
親戚も多重人格がいたり、フォロワーにもそういう類がいたので自分がいざ患ってみると意外と驚かれなかったし、周りからの理解も得られた。
なんともいい人間に恵まれたものだ。




さて、今回はここまで。
書きたいことがあったらまた書こうと思う。